『弓と禅。』
オイゲン・へリゲルの著書
弓を通して禅を学ぶ過程を記述したものです。
その中で的を狙ってはいけません。
など、禅的な物言いが出てきますが、
その師匠は弓術の技術に長けた方だったらしいです。
ここについて。
狙わなくていいくらいに技術が優れていたのか。
禅的によく行われたので、いい結果が得られたのか。
これってバカと天才は紙一重と同じような話かもしれません。
弓をやらない禅の大師匠が
的を狙うことなく当てられるかは別の話です。
やはり弓の技術は別に育てていく必要があります。
その上で、禅的な修行をしている。
アレクサンダーテクニークも同じなんじゃないかな。
自分の使い方がわかって初めて
なにもしない、がわかるようになる。
今までやっていたことが
間違った使い方だったとすれば、
間違ったことをしないことで、
いい使い方ができるようになる、と
初めてわかるようになるんじゃないかな。
自分一人では、間違っているとは気づきにくい。
間違いを見つけようとしても、
いつものやり方でやってしまうので、
間違いとは認識しにくい。
なので、いつものようにしてしまう。
この循環に入ってしまっているので、
私たち教師がその輪っかに入っていって、
どのように自分を使っているかを
きちんと見れるように、観察できるように
レッスンしていくことで
循環から抜け出られるようにしていきます。
へリゲルさんがやった小手先のものは
たぶん全員が通る道なんです。
結果が同じようなものなら
それでいいじゃないか、と。
私たちから見ると同じような結果でも、
師匠から見ると全然違うことなんです。
違うということがわからない。
エッセンスを取り入れたなんちゃら、が
出てくるものこういったところなんでしょね。