だまさてるかも
観察や身体感覚、
あなたの感じている感覚はうそかもしれない。
まさしくあなたの感じている感覚は
きちんと感じていて、確かに感じています。
だから、やっかいなんです。
少し前に話題になった
両手を水平に上げてみてくださいって、
あれ、ほんとうに水平に上げられた人少ないんじゃないでしょうか。
ここが水平って思ったその感覚は
自分の中では正しくて、
でも鏡などで確かめてみると違っていた。
そう、できたと感じた感覚が間違っていた。
アレクサンダーテクニークのレッスンでは
これをわかってもらうことが重要なんです。
鏡で見て確かめられる動きにも当てはまりますし、
鏡で見ても確かめられないことにも当てはまります。
正確には見方や観察の仕方がわかって
自分で体験したことは、繊細な動きであっても
確かめることはできます。それには訓練が必要です。
観察の訓練。
感覚が間違っていないと思っていることこそが、
この話のわからなさなんですよね。
これを疑うことってないですものね。
やろうと思えばできるってそう思いますよね。
すぐにはできなくても練習すればできるようになるはずで、
できないのは練習が足りてないからだ、となります。
アレクサンダーさんが見つけたのは、
練習してできるようになったと「感じた」こと、
それってほんとうなのか、ということです。
何か専門的なことを習っている方は
経験があるかもしれませんが、
教えてもらって、自分なりに練習している時
先生に、それ違うよ、と言われたことないですか。
まさしくそれです。
あなたが練習したことは、
先生が言わんとしたことと違っていた。
自分の感覚ではそうだと思っていること、
それ自体が違っていた。
これが自分の感覚が間違っているかもしれないということです。
繊細な話なので、体験しても
すっと受け入れられないかもしれません。
今まで信じてきたことが間違っているかもしれないんですもの。
私がこれを受け受け入れられるようになったのは、
師匠についてしばらくしてからです。
それまでに体験していたことでわかったつもりになっていましたが、
全然違った。
わかっていたつもりなだけでした。
自分ではやっているつもりで、
きちんと感じられているつもりでした。
そう、自分の感覚は正しいと思い込んでいたんです。
師匠はずっと同じことを言ってくれていたんです。
わたしは言われていて、
わかります、って言い続けてました。
それはわかっているつもりでしかなかった。
もしくは、その時はそうとしか思えなかったということです。
今でも、こう感じているけどほんとかな、と疑っています。
やれていると思い込んでいるだけかもしれない。
疑っていても、ハッと気づいて、
あ、間違ってたとなることもしばしば。
感じていることってやっている最中は
間違っていることに気づきにくくて、
抜け出た時に間違っていたことに気づける。
ほんとにやっかいなものです。