なぜなぜ?
2024年10月01日
何かを学ぶって
色々な知識やなんやかやを
覚えることとは違います。
自分を深く知ることで
色々な見方ができるようになることです。
これがいわゆるお勉強とは違うところです。
最新のなんちゃらと喧伝することに
わたしが胡散臭さを感じるのは
こういったところからです。
色々なことをするのは
知りたい欲求の現れだと思うので
それ自体を否定はしません。
というより、
興味があれば知らず知らずのうちに
色々なことを知っていきます。
分かれ道だと思うのは、
薪を拾い集め、集めて終わりで
燃やすだけ、にするのか、
どの木の薪が燃えやすいのか、など
一歩踏み込んだことを考えるのか、
ここだと思っています。
集めただけだと、
「わあーすごい!この薪よく燃えるー!」
と言って、よく燃えることを
周りに伝えようとする。
一方、よく燃えるのはなぜなのかと
一歩踏み込むと、
いろいろなことをする必要が出てきて、
さらに、知る必要が出てくる。
踏み込んで考えていくと、
簡単に「これすごいよ!」と
言えなくなってきます。
どうやって興味を持ってもらって、
しかもさらに自分自身で
一歩踏み込むように促していけるのか。
私の大きな課題ですね。