分析と、日常。

2023年06月25日

分析するために止まることと、
日常でただ動いている事とは
ちょっと違います。

動きを観察するときは、
何か特定の動きを取り上げて
自分がどう動いているのか、
ゆっくり動いたり、
動いている箇所を見ながら動いたり、
鏡を使って自分を写て見たり、
色々な方法があります。

分析するときの方法です。
範囲を決めて、何かと切り離して、
ようやく見ることが出来るものがあります。

そうしないとただ流れていくだけになってしまいますからね。

ここでやってしまいがちなことで、
私も散々やってきたことなんですが、
この方法を日常に持ち込んでしまうということ。

え?分析しながら動くんじゃないの??

そう思うかもしれませんが、
多分うまくいきません。
少なくとも私はうまくいきませんでした。

じゃ、どうやって観察するのさ。

分析するという特殊な環境にはせず、
ただただ動くんです。

え?ってなりました?

日常は特殊な環境ではなく、
日常だからです。

レッスンでもよくいうのですが、
詳しく観察したら、それは
すっぱり忘れて、ただ動いてください、って。
呪文は覚えておいてくださいね。

分析すると、日常から切り離された
時間になっちゃいます。
切り離したからには、日常に戻るときには
分析時間を終わらせる必要があります。

ここに分断が起こってしまうから、
ただただ動き続ける、が
できなくなってしまうんです。

分析することが悪い、
日常と切り離してしまうのが悪い、
そう単純な話ではないんです。

香川県の山のように
あちこちに山はあるんだけれど、
その間には平野がある、ってなっちゃうんです。

山脈のようにずっと山があり続けるようにしたいんです。

動き(山)がポツポツとあるんじゃなく、
ずっと動き続けている(山脈)。

その時、山の風景を観察しながら、
歩いていく、ってのが理想です。

山の風景は、もちろん、
自分の身体です。

山の風景に手を入れてはいけません。

ただ観察する。

ああ、あそこに桜が、なんて見ながら
通り過ぎるだけ。

分析する時は、
あの桜の分布はこうなってるのか、
あの地層はこうだからあの木が生えているのか、
たまに傍に咲いている花に近寄ってみたり、
などなど見ていく。

自分の身体の場合は、
意識的コントロールで
間違っているものをやめていくことができる。

手を入れていくわけです。

木を植え替えるのではなくて、
その木が生えないようにするんです。
(強制的に枯らしちゃダメですよ。)

そうすることによって、
新たに生えることになった木も
すくすく育つことができる土壌ができるんです。

その繰り返しです。

美しい風景を見ながら歩けるようになります。

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