提案、説得。
私がトレーニング中に言われた「提案する」。
教師が提案して生徒が受け入れるかどうかは
生徒にお任せ。
私は教師からの提案を
拒否したことがあります。
その時の教師の顔はびっくりしたような、
なんで??というような、顔に見えました。
受け入れられる、が前提だからだと思いました。
提案という言葉で誤魔化してはいますが、
こっちが正解です、として提案していると感じました。
(正解という言葉が適切かは別の話)
生徒が受け入れられるかどうかは、
「精神的 - 身体的」なもの、
今現在の自分の状態が絡んでいます。
その時の私はまだまだその教師の提案を受け入れられなかった。
だからこそ拒否できたし、拒否したんです。
今受け入れられるのかはわかりませんが、
「提案」という言い方は拒否します。
パトリック・マクドナルドさんは
「説得」という意味のことを言っています。
こちらの方がしっくりきます。
この言い方には教師側に、
確固たる信念があって、
私たち生徒に教えている、と思えるからです。
自分自身から出た言葉だということがわかる。
だからこそ信じることができます。
私は「再発見」と言ったりしますが、
たとえ教えられたことでも、
もう一度、自分で発見し直さなければ
本当にわかったことにはなりません。
「判断せずになにが起こっているか観察してみましょう。」
ただただ観察して欲しい時に言います。
こう言っても、判断せずに見れることは
なかなかできないことが多いです。
一つの動作を終える前に
動作自体を止めてしまうことが多いからです。
これは動作を終える前になにかを判断している証拠です。
もしくは100%成功しないといけないと思っているか。
それは思い込みです。
アレクサンダーさんは
「私のやったことと同じことをすればみんな同じようにできるようになる。」
このような趣旨のことを言いましたが、
教師自身、同じ道を辿れるように自己訓練を含め
訓練し、それを持ってレッスンで生徒に伝えていく。
自戒を込めて言いますが、
最新の科学では、現代に見合う教え方では、などなど、
自分自身ができていないから
それらに自分を支えてもらってはいないでしょうか。
自ら立てるようにすることが
このテクニックの一つの目的です。
何か問題があれば、なにが問題なのかを観察し、
そういった反応をしないようにして、
そうして問題自体がなくなるようにしていく。
こんな大事なことを見ようとせず、
何かに支えてもらう、もっというと
縋りつく姿は果たして。。。。
もちろん自分の考えを補強するものとして
最新の科学やその他のものを利用することは有ってもいい。
しかし、それに支えられようとすることは、
やめた方がいい。
デューイがいうように、こういった話も
「必要な人には必要だからこそ届かない」んですよね。
本当に、こんなに繊細なものが、よくも
100年以上も伝えられてきたことに驚きを覚えます。
私の師匠、先人たちに感謝です。