曖昧なまま。

2024年04月19日

アレクサンダーさんはなぜ
曖昧な言葉で現そうとしたんでしょうか。

なぜ頭と首の関係はこうだと断定しなかったのか。
なぜ背中が広く長くはこういうことだと断定しなかったのか。

「首がフリーで頭が前へ上へ背中が長く広く」
これにはそれぞれの出発点がないので
どっちに行けばいいのか
方向がわからないんです。
(曖昧すぎるよ!)

アレクサンダーさんはこの言い方を
あえて選んだようです。

固定された関係性ではないからです。

首は頭と背中がいい関係でいられるためにフリーである必要がある。
頭は背中が長く広くなれるように前へ上へ方向づけている必要がある。
そのためにお互いが関係しあっている。

しかもこれらがうまく関係しあったときに初めて
全てのことを同時に感じることができる。

全てがうまく関係していて感じられることを
ぜひ味わってほしい。
ラクなんですよ。びっくりすると思います。

こればっかりはみなさん言います。
「このラクさが続けばいいのに。」って。

このラクさはレッスンが進むにつれ
自分でそうなるようにできてきます。
全体に干渉する反応を
意識的にコントロールできてくるからです。
そうすることで機能が向上してきます。
間接的なテクニックと言われる所以です。

この曖昧な表現が様々な解釈の余地を生み
様々な教え方、というものができたんでしょう。

あえて曖昧にしか言わなかった。
しかし、体験すると
そうとしか言えないことがわかるはずです。
しかも、曖昧だからこそわかる。

断定した言葉を残していたら、
どうなっていたでしょうか。
言葉が一人歩きしてしまって、体験したことのない人が
自分勝手に解釈していたかもしれません。
(いつの時代にも商売上手っていますから)

身体を解剖学や生理学だけで学び
施術しようとする整体師は、
本で記憶した筋肉や経絡を信じ、
実際の患者を触ってそこに確かにある、と
感触を確かめながら進めていくことはないでしょう。

そういう人はわかっていないということがわかっていない。

そうするとどうなるでしょう。
「こうするといいですよ。」
「これってこことそこががうまくいっていないからなんです。」
など断定した言い方ができてしまう。

私たちは全員違います。
検査のために血を抜く時だって
針を入れる時には探して刺すはずです。

これは自分の経験から出てきた言葉が
相手に伝わりにくいこととは違います。

私たちは感じたことを表現するときに
それぞれの言い方をします。
断定した言い方にはそれを許さないところがあります。
簡潔に言うことの難しさや危なさはここにあります。

曖昧な言い方は、言い方は違うけれど、
感じていることは同じかもしれないものを
包み込むことができる。
断定した言い方には、感じているものが違っていても
同じかもしれないと思うことができてしまいます。
どちらも難しい問題です。

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