正解を選び続ける? ②
ここで言う正解は
それが真実であるということではありません。
一般的に言われる正解とは意味が違います。
「自分にとっての」とカッコ付きです。
慣れ親しんだものや、
習慣でやっているもの
知らず知らずやっていることなどの
無意識とも言ってもいいかもしれないこと。
間違いではないと思っていること。
疑問も持つことがないこと。
歩き始めを右足から出すこととか、
コップは左手で取るとか。
意識せずにやっていることです。
歩き始めを左足から出してみるとか、
コップを右手で取ってみるとか、
やってみると変な感じしませんか?
「自分にとっての」正解ってそういう意味です。
それを変えるのってなかなか時間がかかります。
正解、「自分にとっての」正解を選び続けてしまうという話。演奏だとタンギングの時にみてわかるくらい顎が動いてしまう、
やめたくてもやめ方がわからない。
顎が動くのは自分でもわかっている。
でもやっちゃう。
補足
顎が動くことが悪いとかではなく、顎が動くことによって
発音のコントロールが難しくなるんです。
だからやめたいという意味です。
やめたいのに、ついやっちゃうことってありますよね。
やったことのないことをやろうとすると、
やっぱり、ついやっちゃうことをやってしまう。
意識していればできる時もあるだろうけど、
パッとやると、やろうとしていたことをやっていない。
私自身、何回も経験してきたことです。
そんな時は、やめたいと思っていることを
やめること。
何か新しいもので上書きしようとしても
うまくいかないことが多いです。(もちろんうまく行く時もある)
この上書きを目指す、じゃなく
「やめる」ことを目指し次の行動を選択できるようにする、ということが
アレクサンダーテクニークの大きな特徴です。
つい選び続けてしまう「自分にとっての」正解。
これをやめようというわけです。
やめることの過程で学ぶコントロールは
さまざまな応用が可能で、
根本から変われる可能性があります。
なんでやっちゃうんだろ?から解放されるかも知れません。