残したい。

2024年05月29日

なぜ私がアレクサンダーテクニークと
そうでないものを分けようとしているのか。

日本ではすぐにいろいろなものと混ざり合って
なんだかわからないものになりがちだ
ということと、本当に
ずっと残ってほしいからです。

仏教だってなんだって
日本にやってくると
途端に、その時あったものと
混じり合って、日本独自のものなってしまう。

そんな事はレッスンに来てくれる人には
関係なさそうですが、
教える側に影響が出てくると
間接的に来てくれる人にも関わってきます。

「怪しいと思っていました。」
こう言われたことが、
直接言われたことが相当響いたんです。

日本でアレクサンダーテクニークと
呼ばれているものは、
本当にアレクサンダーテクニークなんだろうか。
私がレッスンしているところを、
アレクサンダーさんご本人に
見ていただいた時、
認めていただけるのだろうか。

お前のやっていることは、
私のテクニックであると認めていただけるのだろうか。

まだまだだけれども、
方向としては間違っていない、くらいは
言ってもらえるように、これからも練習していきます。

進化、という言葉で
変わってしまったこと、
変えてしまったことを
誤魔化したくはない。

日本語でやっていく、
教えるということへの変化はありますが、
本質は変えない、という前提で、

このテクニックは
人間の根本的なことを扱っているという
確信があるので、なにも変える必要はない。

変えてはいけないとさえ思います。

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