禅とテクニーク。

2024年10月09日

禅を実践している生徒によく言われたんです。
ほんとに同じことを言ってますね、って。

なにもしない、って。で書いたのは、
聞きかじった知識でいうと、
妄念がよぎっても、ただよぎったなというだけで、
それに対してなにもせず、
ただただ座禅を組んで
座っているだけ、だそうです。
この時よぎってしまたが最後で、
妄想を払おうとしたり、
無かったことにしようとしたり、と
なんとかしようとするんだそうです。


なにもしないって。 


アレクサンダーテクニークでも
ほんとに同じことが起きるんです。
なにかしらの刺激に
反応してしまったことに反応してしまう。
なにかしら妄念という刺激があっても
それに反応せず、
なにもしないことを練習します。

妄念は内からの、自ら発した刺激です。
刺激と言っているのは、
私たち自身に入力として
入ってくるもの全てです。

それに反応せずなにもしない。

ここで目指しているのは
刺激に対してくっついている、自動的な
反応をしないようにする、という練習です。

一直線にやりたいことをしようとせず
こんな過程をはさむのは、
新しくやろうとすることは
なじみ深いやり方よりも弱く、
いつもほとんど負けてしまうんです。

主に動いている部分ではない部分は
なじみ深いやり方でやってしまい、
そのなじみ深いやり方の影響は
全体へ強く働きます。
その影響の根本を、
刺激に対してのいつもの反応を、
自動的にやってしまわないように

練習するんです。 

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