自分にとっての正解④ ちゃんとしよう、って。
ちゃんとしようと思えば思うほどうまくいかなくなることってありませんか?
ちゃんと、ってなんでしょうか?
自分の動きのレパートリーから引き出した動きでは解決できないことってありますよね。だからこそ、何かの専門家に教わるわけです。
それなのに教わったことをちゃんとしよう、と思ってしまいませんか?
自分でできないから教わっているのに、
教わったことを自分のやれることでやろうとしてしまう。
教わったことや、初めてやることって、
自分の感覚では間違っていると感じるはずです。
自分ではやったことのないことだから
違和感とか、これってどうなんだろう??とか。
間違っているとは思っていなくてもそう感じる。
だから、自分にとって違和感のないやり方でやってしまいがちなんです。
正しいとまでは思っていなくても
少なくとも違和感のないやり方でやってしまう。
ちゃんとしようと思えば思うほど
自分のやれる範囲内でやってしまいがちな傾向にあると思います。
私たちは「正解」だと思うことをやりたいですから。
ここで分かれ道。
自分にとって違和感のないようにやるのか、
間違っていると感じても教えてもらった通りやってみようとするのか。
できないから教えてもらった。
ということは自分の中には正解がないわけです。
間違っていると感じる方に正解があるかも知れない。
いや、進んで間違っていると感じる方を選ぶ。
間違っていると感じることが、万が一にでも正解かも知れないんです。
少なくとも自分の中には正解がないんだから。
師匠から聞いた話ですが、
何かに長けた人って言われた通りやってみるんだそうです。
間違いとか、それはないよとか、
判断せずにやってみる。
考えてみればそりゃそうですよね。
言われたことを自分で判断してやるかやらないかを決めるんだったら、
教わりにいく意味なんてないですよね。
そういう意味でもすごい人はすごいと感じました。
私はつい自分の判断をはさんでしまいがちです。
まずはやってみる。
「まずはやってみる」ができないんですけどね。
人に任せきることができないことが多いです。
試しにどなたかとやってみてください。
自分だけ座った状態で握手をして(肘は曲がった状態で始めて下さい)、
立っている相手の方に手を引っ張ってもらうだけです。
体は動かずに手だけ引っ張られっぱなしにできましたか?
大体の方は引っ張られる方に手を動かしてしまうと思います。
簡単だと思うことさえできないんです。
自分にとっての「ちゃんとしよう」が顔を出してくるんです。