間違えていた。

2025年02月28日

「THE USE of THE SELF」の第一章テクニークの進化。

アレクサンダーさんがテクニックとして
確立していく過程を書いた章なのですが、
そこで転換期がくる前に書かれた一節に
ん?となったんです。

「これまで朗誦のために自分の使い方を改善しようとした努力が
誤った方向に進んでいた証拠を得た。」
I now had proof of one thing at least, that all my efforts up till now to improve the use of myself in reciting had been misdirected.

ここです。

この一節までにやっていたことは
誤った方向の努力だったてこと。。。

ここ、読み飛ばしていました。
意味がわかっていなかったのかもしれません。

アレクサンダーさんが間違っていたと気づくまでに
何をやっていたかというと、
・頭を前へ上へしようとしていた
・胴体が長くなるようにしようとしていた
・背中を狭くしないように防止しようとしていた
などなどです。

アレクサンダーさんはこれらのどこが間違っていたと言っているのでしょうか。

これらを行う時に、自分自身では
普通だと思えるやり方でやっていた。
このことが間違いだと気づいた。

普通だと思えるやり方、
習慣的なやり方でやっていた、というのです。
普通だと思えるやり方というのは、普通に
やっていると感じられるやり方です。

「感覚feeling」に頼って動いていたというのです。

「感覚」に頼ってはいけないの?

やれていると感じているにも関わらず、鏡を見ると
実際には反対のことをしていたことをアレクサンダーさんは見たんです。

今まで通りのやり方でやっていたら
そりゃあうまくいかないことの方が多いわけです。
色々試行錯誤している時に
失敗することの方が多かったらしいんです。

ここで大きな壁にぶち当たります。

手を水平に上げますと動いた時
水平に上げられたと「感じていること」は
間違っているかもしれないとなると、
何をガイドに動いていけばいいのでしょうか。

普通だと思うやり方でやろうとすると
習慣的なやり方で動くことになってしまう。
かといって、やらないままだと何も起こらない。

やろうとすることそのものに反応して習慣的なものが出てくる。
ということは、やろうと思うだけにとどめておき、実際には動かず
動いた時にすぐさま出てくる反応としての習慣が出ないようにする。
そうしておいた状態で、
新たに見つけた新しいやり方の
方向性を思い続けるということによって
起こる反応自体を変えてしまおうとした。

これだと、「感覚」に頼ることなく
新しい動きができるのではないか。

凄すぎます、アレクサンダーさん。


正しい、間違い   
 

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