雑談。

2023年12月24日

アレクサンダーテクニークってなに?

自分の使い方のことって説明すること多いかな。

自分の使い方??

んー、ごめん。
「使い方」って専門用語的に使っちゃった。
「自分」って言ったのは、
身体だけじゃなくて精神的なことも含めて
全体として考えているからで、
その自分をどうやって使えばいいのかを学ぶこと
って言えばわかるかな。

いまいちわかんないけど、使い方って?

身体を動かすって言い替えてもいいけど、
それだと考えやイメージも動かすことに影響するってことが含まれないからなあ。

考えが身体を動かすことに関係あるの?

もちろんあるよ。
歩く時も考え事する時でもなんでも関係してるよ。

わかんないなあ。

歩き方って人それぞれでしょ。
モンローウォークみたいにお尻を振って歩く人がいたり、
腰を回して足を出して歩く人がいたり
色々な歩き方してるよね。
それって自分をどう使うかの考えが、
無意識だとしてもみんな持っているから、
歩き方が違ってくるんだよ。
ね、関係してるでしょ。

だからって、アレクサンダーテクニークを学ぶ理由にならなくない?

ほんとはみんなに学んでほしいけど、
必要だと思わないといらないもんね。
あたりまえだけど。
いつ必要だと思うかだよね。
わたしは楽器を吹くから、
その演奏中の身体の使い方から
このテクニックに出会ってハマったんだ。
もっとこうしたいがあったんだよね。
そういうのはある?

なんでもいいの?

いいよ。
もしくはなにか困っていることとかは?
アレクサンダーさんは、、、って、
このテクニックを発見して発展させた人ね。
彼がテクニックを発見するきっかけになったことが
喉が枯れてしまったことからだし、
困ってること解決するかもよ。

喉の枯れが治ったの!?

そうそう。

どうやって治したの?気になる!

彼は舞台でシェークスピアとかを朗誦する仕事をしていて、
舞台で声が枯れてしまうことに悩んでたんだ。
普通に話しているときには声は枯れないのに
舞台で朗唱しているときには声が枯れてしまう。
この違いはなんなんだろうって
鏡の前で普通に話している時と朗誦している時とを観察し続けた。
普通に話している時には見つけたれなかったことが、
朗唱しているときには見つけられて、
それがきっかけで色々な発見をしていったんだ。

なにを見つけたの?

普通に話しているときにはわからなかったんだけど、
朗誦する時に頭を後ろに下げていたこととかを見つけたんだ。

それと喉って関係ある??

ないと思うでしょう。
でもそれがきっかけになっていろいろわかってきたんだよね。
よくよく観察すると普通に話している時も
朗誦している時にやっていたことをやっていたんだよ。
それがほんの少しの動きだったから
初めは見つけられなかっただけだったんだ。

なんでわかんなかったんだろうね。

どこを観察すればいいのかの経験がなかったことが原因だった
って本人が書いてるね。

じゃあ、わたしが観察しても
同じようになにも見つけられないかもしれないってことか。

見つけられないかもね。

どうすれば見つけられるようになるの?

そのためのレッスンだからねえ。
レッスンでは自分がなにをしてるのかをわかるようになって、
その上でよい使い方ができるように学んでいくんだ。

よい使い方って、またわからないことを言ってる。

つい専門用語使っちゃう。

よいってことは今のわたしの使い方ってダメなの?

ダメかどうかわからないけど、
もっといい使い方ができると思うよ。
これは勝手な思い込みかもしれないんだけど、
いい使い方ってアスリートみたいになれるって思ってない?

あー、そうかもしれない。
なんでもできるようになるって感じあるかも。
そうじゃないの?

目指してるのはそうじゃなくて。
ほら、アレクサンダーさんが鏡で
自分を観察したって言ったじゃない、
あれはなんだったかって言うと、
やりたいこと、アレクサンダーさんだったら
声が枯れないように朗唱したいってこと、
それの邪魔をしているのはなんなのかを観察していたんだよ。

邪魔ってなんだ?
自分で自分の邪魔をしてる?
そんなことあるの?

そうそう。邪魔してるんだよ。
それが、無意識でやっていることが
原因のことが多いから厄介なんだよね。
無意識だから自分でそれをやっていることがわからない。
わからないからいつまでも声が枯れちゃうように声を出し続けちゃう。
それをやめましょう、ってことが
このテクニックでやりたいことのひとつなんだ。

何かができるようになるためのテクニックじゃないってこと?
そんなこと言われてもますますなんで学ぶのかわからないよ。

肩こり腰痛なんかも自分の使い方からくるかもしれないって言われたら?

それはなくしたい!

肩こりや腰痛も自分で
自分の肩を凝らせているような使い方をしているから
肩が凝ったり腰が痛くなっているって言われたらどう?

生活習慣を変えましょうってやつ?
整体の人に言われたことある。
でも生活習慣を変えましょう
って言われたってなにをどう変えたらいいのかわかんないよ。

それのために観察をして
自分がなにをやっているかの認識が大事になってくるんだ。

じゃあ、実際にレッスンではどんなことするの?

アレクサンダーテクニークはカリキュラムを作れないんだ。
だからなにをやっているのかわかりづらいのかもね。

カリキュラムがないの?
積み上げていくことができないんじゃない?

そう、そこなんだよね。
いわゆる順番に積み上げるってことができないんだ。
人それぞれ習慣って違うでしょ、
その習慣を認識していくことから始めるんだけど、、、
ほら、もうカリキュラム作れないでしょ。

確かに私の習慣と誰かの習慣、同じじゃないもんね。

わたしにとってやめるのが難しくて
今でもやってしまう習慣があるし、
それは誰かにとってはなんでもないことかもしれない。
こんなことは当たり前にあるんだよね。

なんとなくは、わかる。

話は飛んじゃうけど、
テクニックとして発展させていく過程で
いい使い方は機能向上につながるってことも発見したんだよ。

やっぱりなんでもできるようになるんじゃないか。

んー、例えば今間違った自分の使い方をしてるとするよね。
その間違いをやめること、それだけで
今はそこなわれている機能を取り戻すことができるんだ。
この言い方だとわかる?

取り戻す?

そう、使い方が悪いと
元々持っている機能の邪魔をしていることになるんだよ。

てことは、自分の機能が向上するんじゃなくて
そこなわれているものを取り戻すことができるってことか。

そうそう。

そもそもできるはずのものができていないってことだもんね。
そのために自分のことを観察して、認識して、
やめられるようになるってことか。

ね、みんなに学んでほしい理由がわかってくれたかな。

わかったような気がしてきた。
ありがとう。

話ができてよかったよ。
ありがとう。

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