雑談〜 仕事にするという難問 〜

2023年11月11日

生まれたのは母の出身である島根県で生まれ
その後父の出身である大阪で育ちました。

小中と地元の学校に通い中学校ではいじめにあい、
高校で地元を離れることにしました。
そこで友達に誘われて入ったのが吹奏楽部という
そこから先ずっっと人生の大半を占めることになるものに出会いました。

高校の頃はロック、というより
TMネットワークが好きになり(小室哲也さんがいたバンドです)、
その繋がりでB'zや電撃ネットワークじゃなくて、
なんだっけ?あ!電気グルーブなどを知り、
今も変わらずなのですが、好きになったら一筋
ずっとTMをB'zを聴く毎日。

同じクラスに人にアメリカンロック好きがいて
ガンズアンドローゼズなどを教えてもらいどんどん
色々なジャンルの音楽が好きになっていきました。

でも、その頃電気を通した楽器
ギターやベースなどが好きで吹奏楽に興味はあまりなく、
米米クラブにホーンセクションがあるなーくらいでした。

それでも吹奏楽を続けていたのは
演奏することが好きだったんですよね。
みんなで演奏して部屋中が音で満たされることが本当に好きです。

大学でも吹奏楽を続けるんですが、
今度はレコード屋さんと親しくなり
さらに色々な世界に引き込まれていきました。

そのころはUKが流行り出していて
当然のようにビートルズ全アルバムをそろえ、
色々なUKロックにハマっていきました。
スカッとしたアメリカンロックより
どこか暗い雰囲気のあるUKロックか好きなんですよね、いまも。
その頃かな?くるりを教えてもらったのは。
初めて買ったくるりのCDが「ばらの花」で
そこからずっと聞き続けています。

吹奏楽を何年も演奏しているのに
吹奏楽曲にはずっと魅力を感じなかったんです。
(演奏するのはかわらず好きですよ)
吹奏楽は演奏するもので、聴くものではなかったんですよね。

やっと何年か前からです、演奏する曲を聴くようになったのは。

そうしたらなんだ!面白い。いろいろ音楽の記事を書いていますが、
社会人になって入った吹奏楽団での疑問が
きっかけになっていることが多いかもしれません。

リード好きが集まった「音の輪」での小林さん。
震災がきっかけて生まれた「YEEL」での長野さんなど
私が参加させていただいたバンドで
指揮を振ってくださった方とを比べることで生まれた疑問。

お二方はもちろん他の指揮者の方々も、私がいう
「機械」をほとんど使わない。
自身で確認はする時はあるけれど全体では使わない。
まあこの話は長くなるので別記事で。

大学を卒業後しばらくフリーターをしていたのですが、
突然写真に目覚め東京へ。

写真面白いですよね。
撮ることもそうだけど見ることも面白い。
今思うと全然見方があまい!と思いますけど、
当時は当時で面白がってやっておりました。

写真の専門学校を卒業間際で中退し
プロの写真家がやっている夜間の教室に通い
展覧会を開くところまではやったのですが、
仕事にしようとなると急になんだかトーンダウンしてしまったんです。

今もまだ残っている感情なのですが、
営業って嘘をつかないといけないみたいな。
大学時の就職活動もそれが理由で
面接って嘘を言わなきゃいけないでしょ?的なやつで
一切やらなかったです。きちんと就職活動した方は
もっと真っ当な意見なんでしょうけど私にはそうは思えませんでした。
だって何社も受けるのに第一希望ですって言うんでしょ?
私は絶対に嘘ってことを顔に出す自信あります。

写真をやっている間は楽器に触れてなかったなー。
それくらいのめり込んでました。

仕事にする。それがきっかけで遠のいてしまった写真。
今では見るだけになってしまいました。
(が、写真を撮っていた見ていた経験は
色々な事柄を考える上ですごく役立っています)

また吹奏楽というか、クラリネットに戻ってきたわけです。

その頃働いていた場所近くの楽団を見つけ入団。
やっぱり楽しかったですねー!
久しぶりの感じ。みんなで音を出す感じ。
部屋が音で満たされる。ホント好き。

時間は遡って大学生の頃。その頃から
どうやったらもっとラクに吹けるのか?
どうやったらもっとブレスが入るのか?
結構研究していて、極端なものの一つに、
浅く座って背もたれにもたれかかるように吹くということをやっていました。
その姿勢の何が気に入ってたのかというと、
腹筋がゆるゆるになって、背中側が膨らむようになって
より空気が入ってくるように感じられたんです。

今でこそその姿勢はあまり良くないと感じられるようになりましたが、
その頃は本当にいいと思ってやってたんですよね。
(「感じ」っていかにあてにならないかわかります)

こんなことをやっていたものですから、
社会人になって見つけちゃったんです。
アレクサンダーテクニークというものを。

暇とお金ができたとき、アレクサンダーテクニーク体験レッスンへ。
その時教えてくださった先生が
私の疑問に真剣に答えてくださっても
私自身の理解というか、今まで信じていたものと
あまりにも違いすぎるために
納得することができなかったですが、

これ、ほんとのような気がする。
何より面白い。

すぐに通うことに決め、
半年もしないうちに教師目指して
トレーニングコース(教師養成コース)へ。アレクサンダーテクニークをはじめからいいと思っていたわけではなく
雑誌での連載を見つけたのが始まりなのですが、
そこに載っていた受講生の感想がいいことばかりで
胡散臭さ抜群だった。嘘をつけ、と。
全員が全員良く思うはずなかろう、と。

翌月もその連載を読むくらいには気になっていたんですけどね。
だって、自分で研究していたんですから。
そこに(本の中に)楽しそうにしている受講生がいる。
楽しそうに教えている先生がいる。

実際に学校へ行ってみると、
同じような光景がありました。
みんな楽しそうにして、それでいて真剣で、
学んでいるのは間違い無いんだけれど、
私が今まで真剣と思っていたものとは全く違う学び方でした。

私自身も含めこんな変なものを見つける人は
やっぱり変な人なんですよね。
全員個性が飛び抜けていて、でも
同じ空間にいても心地よい。
いい学校でした。

自己紹介的記事にも書いたんですけど、
学び始めて何年目かから雲行きが怪しくなり始めます。
学校のシステムが変わり始め、
自由な雰囲気がなくなっていくように私には感じられました。

その頃からノートにメモをする人が増え始め、
いわゆる「勉強」をしている人が出始めました。

詳しくは自己紹介的記事を読んでいただきたいですが、
イギリスで得た経験は、目の前で起こっていることとは
なにかが違う。イギリスでのレッスンをメモに取ろうとしても
何を書いていいのか。自己紹介的記事にもあるように、
私自身の笑顔を持ち帰ったくらいしかないです。
体験したそのことを書くことって、時間が経って振り返るということで
始めて書けるんじゃないかと思うんです。

今の師匠につくことを決め、
学校とは別の流派の勉強をしながら
なんとか学校を卒業することができました。が、

また出てきた仕事にするという難問。

嘘をつきたくない。
真面目すぎますね。誰かに届かなきゃ
ほんとのこと言ってても気づいても貰えないんだし。
子供すぎるのかもですね。

ずっと引っかかっているというか、なんというのか
自分の中でのラインで、こっちにいきたいというものがありまして。
そのラインを決定づけたエピソード。
ーーーーーーーーーーーー
船に乗っていた二人の話です。
一人は当時人気だったという方、
もう一人はFMアレクサンダーさん。
人気だった方には出迎えが何人かいらっしゃったようですが、
アレクサンダーさんはそれを横目に出迎えもなく降りていったそうです。
人気だった方はアレクサンダーテクニークを
わかりやすくエクササイズ的にして紹介していたそうですが、
今では(私の知る限り)そのエクササイズ的なものの
名前も残っていなさそうです。
アレクサンダーテクニークは今も残っています。
ーーーーーーーーーーーー
お金的には人気が出る方が良さそうですが、
私の選択したのはそのままを伝えたいということ。

師匠が教わったことを私が学び、
私はなるべくそのままを次に伝えたい。
(もちろん人間ですので私自身の解釈は入ってしまいますが)


その私が学んだことを通して、
笑顔を増やしていきたい!

何より師匠の師匠から
私自身が直接もらったものですから。伝え方やり方はなにかが間違っているんだと思います。
レッスンに来てくれる人があまりにも少ないですから。
わかりたい、なにが違うんだ。
(レッスンではみなさん笑顔で帰ってくれます)


どこまで知りたいのか学びたいのかは人それぞれです。
だからといって、本質と離れたことを伝えることは
したくない。
伝え方がうまくないんだろうなー。

無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう