感覚。技術。
「弓と禅」で書かれていたことを
読むとこうも解釈できるのではないか。
弓の技術は必要だけれども、
技術で的に当てるのではなく、
矢が弓に当たるように
自分は何もせず、
自分を整えておくだけでよい。
そうすれば自ずと矢は的に当たるんだ。
「技術さえ必要ないんだ。」と言われても
何もわかりません。
わたしの想像で、勝手な解釈です。
もし矢が的に自ずと当たることの
下地に弓術の技術があるとすれば、
アレクサンダーのレッスンも同じなんですよね。
とにかく技術は必要だと思っています。
なにせテクニックですからね。
レッスンで体験したような感覚を
自分で起こそうとしても、
初期の頃は全くと言っていいほど
できないのは、そういうことなんです。
技術が習得できていないんです。もしくは、
自分のやり方でやってしまっている。
もちろん上の本の著者も陥ったことです。
先生が何を言っているのかわからない。
何かコツのようなものがあって、
それを自分で探そうとしてみたりしています。
レッスンでも同じようなことが起こります。
技術ではなく、コツで解決しようとしてしまう。
こうなると、キョロキョロが始まります。
自分の中に正解がないんですからね。
どこかのあの信頼できる先生がこう言っていた。
あのワークショップでこう言っていた。
最先端の。。。。
すごい人って、何を言っているのかわからないんですよ。
もうできるところからの言葉であることが多いので、
見えているものが違うのか、
そこにすっと行ってしまえたので途中がわからないのか、
わかっているけれどあえて言わないのか、もしくは、
わかっているけれど言葉にできないようなことなのか。
もっというと、
言葉にしてはこぼれ落ちるものが多すぎるので
あえてふわっとした、私たちには
理解し難い言葉になってしまっているのか。
すごい人の言葉は
私たちにも理解できるような、というよりも
勝手な解釈ができてしまうような言葉だったりします。
専門用語ではない普通の言葉を使っているという意味で。
そう、普通の言葉なんですよ。
だから技術はなくてもいいような
そんな気さえしてくるんですよね。
感覚をしっかりと取り戻していくことが
テクニックを身につける上での大前提です。
そうすればふわっとしたことが、
理解できる、かもしれません。