身体。感情。言葉。
瞑想って、そうか、
座って感情に向き合ったり
受け入れたりすることで、
動きを少なくすることで、なるべく
動きとくっついているものが
出ないようにして、
身体と感情を切り離しやすい
環境を作っているのかもしれない。
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瞑想って、そうか、
座って感情に向き合ったり
受け入れたりすることで、
動きを少なくすることで、なるべく
動きとくっついているものが
出ないようにして、
身体と感情を切り離しやすい
環境を作っているのかもしれない。
身体をパーツごとに分けて考えることもできない。
腕は腕だけで成り立ってはいないし、
脚も脚だけで成り立ってはいない。
上半身と下半身も同じ。
頭と身体も。
腕を使って何かするとき必ず全身を使っている。
歩く時も必ず全身を使って歩いている。
そもそも骨と筋肉と分けることも
「動き」の観点からは分けることのできないものだ。
骨で動くわけでもなく
筋肉で動くわけでもないから。人間を機械のように考えるなら、
筋肉が骨を引っ張って動くと説明できますが、普段私たちが、
脳から指令を出して筋肉を収縮させ骨を引っ張る、
なんてことをやっていますか。やっていませんよね。
動かそうとすら思っていない。
ただやろうとすることをやっているだけで、
コップを取ろうと思っただけで、
信号が青に変わったと思っただけで、
目的の動きができています。
...
「だれでも正しくありたいと思う、
しかし自分で正しいと思っていることが
正しいかどうか、だれも立ち止まって考えない」
先日、違う先生のワークショップに参加していた時に、参加者同士でワイワイしている中、
「腕を回す(内旋/外旋)ときは、小指側(尺骨)を軸にして回すんだよ」と言われた。
知ってるよー、と内心思いながら聞いていた。小指側を軸にして回すといつもと違う感覚があり、やっぱり自分は中指を中心にして回しているんだなー、と確認したくらいでした。
自分一人で正しいことや間違っていると思えていることって
よくある氷山の例えでいうと、
海面より出ている部分、表層部分でしかないんだと思います。
アルトクラリネットのペグの高さについて
勝手に解決したと思ってしまっていました。
アレクサンダーテクニークで自分自身を再教育していくと
なぜ姿勢が良くなり呼吸がラクになることがあるのか。
レッスンをしていて思うのは、
これをすればこうなるということは
誰一人いなくて、
こういうふうに言ったら上手くいったから
別の生徒にもやってみよう、とやってみて
結果が同じだったことは一度もないんですよね。
よく正しいや間違っているという話をします。
正しい動きなどと言っています。
何かをする時にやろうと思っていたことを
忘れてしまうことって、よくあります。