いきいき感。
2026年03月26日
何かを真剣にしている時
ありがちなのが、目が死んでしまっていること。
何かを真剣にしている時
ありがちなのが、目が死んでしまっていること。
落ちたものはすぐに拾わなきゃっ、とか、
間違いはダメっ、って思い込みありませんか。
間違った使い方をやめることで
よりよい使い方を条件づけるようにしていく。
何かを学ぶって
色々な知識やなんやかやを
覚えることとは違います。
歩く時を例にすると、
どちらかの足を前に出して、
どのくらいの幅で動かし、
段差がないか確認して、
どのくらいの速さで動かすかを決め、
前に出した足が着地したら、
今度は反対の足を同じように動かして、、、、
とすることだと思うのではないでしょうか。
動きを改善しようとした時に
あなたが持っているイメージとは
違うイメージで動くことを知り、
そのイメージで動くと
いつもとは違う動きができます。
同じものを体験したとして、
その体験を伝えるときに
違う言い方ができる。
ただただなにもしないだけなんですが、
ついつい、今までやっていたこととは
反対のことをすることで、
やっていない感を得ようとしたり、
なにもしないぞっ、と
ガチガチに固めてしまったり、
何にも起こっていないんだあ、と
起こっていることを無視したり、
なにか「する」ことで、
なにもしないをしようとしてしまいがちです。
手当てと言って、
痛いところや、辛いところに
親しい人が手を置いて
じっと治るように祈っていました。
特別な何かをやっているときに
やっていることは、程度の差こそあれ
いつでもやっている。
レッスンで動きについてみていく時、
私が動きをガイドしてもしていなくても、
生徒が習慣やクセでやってしまうことが多々あります。