選択の自由という不自由。
なんでも選べるという
なにを選んでいいのか、わからない
不自由、不安。
なんでも選べるという
なにを選んでいいのか、わからない
不自由、不安。
「身体が変われば、考え方も変わる。」
わたしが卒業した学校で教わっていた先生の言葉です。
あしって、英語だとfootとlegと
足首から先と足首から胴体までと
分けられていますが、
日本語であしと書くと、なんとなく
胴体から下という感じで
漠然とした感じを持つのではないでしょうか。
なにもしないって、読んで字のごとく、
なにもしない、なんですが、
これってレッスンの初期であればなおのことですが、
ほんとにできません。
矛盾しているようですが、
これは誰しもおちいりがちなことです。
アレクサンダーテクニークは前提として、
人間、特に最近の人たちは、感覚に対して
鈍くなりすぎているというところから始めます。
観察や身体感覚、
あなたの感じている感覚はうそかもしれない。
まさしくあなたの感じている感覚は
きちんと感じていて、確かに感じています。
だから、やっかいなんです。
エネルギーの流れをより有用なものへとするために
アレクサンダーテクニークではさまざまなテクニックがあります。
流れをより良い方へ流すためのものです。
(こう書くとコツのようなものがテクニックだと勘違いしそうですが。)
そう思うでしょう。でもね、
レッスンに来てくれた人の中で
動いている最中になにをしているのかが
わかっていた生徒って、数えられるどころか
何人かしかいません。
よくレッスンで言うんですが、
気もそぞろ、とか
心ここに在らず、とか
落ち着けていない、とか。
呼吸が落ち着いていない、とか。
単純に身体が落ち着いていない、とか。
何年か前なら、エネルギーの流れ??
あ、や、し、い。
それですませていたのですが、
最近はちょっと待てよ、と。