やってみる。
2025年09月27日
レッスンで動きについてみていく時、
私が動きをガイドしてもしていなくても、
生徒が習慣やクセでやってしまうことが多々あります。
レッスンで動きについてみていく時、
私が動きをガイドしてもしていなくても、
生徒が習慣やクセでやってしまうことが多々あります。
方向性を出す手助けをしてもらって
すっとなったとしても、問題は
それをすぐにやめてしまうということなんです。
特別な何かをやっているときに
やっていることは、程度の差こそあれ
いつでもやっている。
自分自身のことなのに、
なんでこんなことやってるんだろう、とか
この動きをやめたいのに、
どうしてもやってしまう、とか
本当に自分って興味深いですよね。
手当てと言って、
痛いところや、辛いところに
親しい人が手を置いて
じっと治るように祈っていました。
困っています。
生徒にこう言われたとき、もしくは
自分自身が困っているとき、
あなたならどうしますか。
ただただなにもしないだけなんですが、
ついつい、今までやっていたこととは
反対のことをすることで、
やっていない感を得ようとしたり、
なにもしないぞっ、と
ガチガチに固めてしまったり、
何にも起こっていないんだあ、と
起こっていることを無視したり、
なにか「する」ことで、
なにもしないをしようとしてしまいがちです。
ここで脱力できたらいいのに。
このフレーズで力が入るからその前の休符で脱力。
いや、ここでも脱力できるぞ!
もしかしてここでもできるかも。
ふむふむ、
脱力ポイントっていろいろあるじゃないか。
同じものを体験したとして、
その体験を伝えるときに
違う言い方ができる。
禅を実践している生徒によく言われたんです。
ほんとに同じことを言ってますね、って。
その情報が自分にピッタリ当てはまる。
そういうことって、あります。