刺激→反応。
入力は大きく分けて二つ。
外からと内から。
外は自分以外からで、
内は自分自身から。
入力は大きく分けて二つ。
外からと内から。
外は自分以外からで、
内は自分自身から。
あっちを動かせば、こっちが動く。
こっちを動かせば、あっちも動く。
動きでもなんでも、
動かしたあとその動きをやめたときに
帰ってくるところがよいものであればいい。
身体をパーツごとに分けて考えることもできない。
腕は腕だけで成り立ってはいないし、
脚も脚だけで成り立ってはいない。
上半身と下半身も同じ。
頭と身体も。
腕を使って何かするとき必ず全身を使っている。
歩く時も必ず全身を使って歩いている。
そもそも骨と筋肉と分けることも
「動き」の観点からは分けることのできないものだ。
骨で動くわけでもなく
筋肉で動くわけでもないから。人間を機械のように考えるなら、
筋肉が骨を引っ張って動くと説明できますが、普段私たちが、
脳から指令を出して筋肉を収縮させ骨を引っ張る、
なんてことをやっていますか。やっていませんよね。
身体を直接コントロールしようとしても
なかなかうまくいきません。
考えたことが筋肉活動として翻訳されるなら、
考えていることは、見える。
考えていることが筋肉の動きとして現れる
とアレクサンダーさんは言いました。
こうする、って現実を置いてけぼりにしている。
こうなるは今起こっていることを
しっかりと観察して、
こう動いたから、ここがこう動いた、と
連動した動きが出てくるんです。
こう言うとなんだそれ?!となるでしょうが、
こう言うしかないんです。
できないところをどうやって練習するのか。
できないところをどのように分析しているのか。
次にどう生かしているのか。
練習するときの考えるヒントをもらえます。
わたしももちろんやらかします。
これって何が起こっているのでしょうか。