なにもしない、って。
2026年03月19日
ただただなにもしないだけなんですが、
ついつい、今までやっていたこととは
反対のことをすることで、
やっていない感を得ようとしたり、
なにもしないぞっ、と
ガチガチに固めてしまったり、
何にも起こっていないんだあ、と
起こっていることを無視したり、
なにか「する」ことで、
なにもしないをしようとしてしまいがちです。
ただただなにもしないだけなんですが、
ついつい、今までやっていたこととは
反対のことをすることで、
やっていない感を得ようとしたり、
なにもしないぞっ、と
ガチガチに固めてしまったり、
何にも起こっていないんだあ、と
起こっていることを無視したり、
なにか「する」ことで、
なにもしないをしようとしてしまいがちです。
手当てと言って、
痛いところや、辛いところに
親しい人が手を置いて
じっと治るように祈っていました。
特別な何かをやっているときに
やっていることは、程度の差こそあれ
いつでもやっている。
レッスンで動きについてみていく時、
私が動きをガイドしてもしていなくても、
生徒が習慣やクセでやってしまうことが多々あります。
何年か前なら、エネルギーの流れ??
あ、や、し、い。
それですませていたのですが、
最近はちょっと待てよ、と。
あしって、英語だとfootとlegと
足首から先と足首から胴体までと
分けられていますが、
日本語であしと書くと、なんとなく
胴体から下という感じで
漠然とした感じを持つのではないでしょうか。
わたくし、ずっと、きちんとできていないものは
ダメだと思い続けていました。
たいていの方は
背中側をアップしようとすると、
お腹がわを縮めてしまします。
その逆も然り。
教えてもらうって、近道なんだけど
教えてもらって出来たことって
本質を(まだ)わかってはいないから、
そのことにしがみつきがちになる。
それらは全体を部分に分け結果を統合する形で
もう一度全体を考えようとしているからだ。
意外に思うかもしれませんが、
私たちはいつでも何かの指示を出しています。